組合歴史
西部製線鋲螺工業協同組合の歴史 -成長発展期-
日本経済の高度成長とともに、内外ねじ需要の増加を背景に・多くの製線鋲螺メーカーが輩出し・当組合員企業も年々増加をみていった。特にこの時期には冷間圧造生産における技術革新(材料・機械・工具類の改良) が著しく、その優れた生産性・経済性により「製線鋲螺」がねじ製造業の主流をなしていく。
中でも、ねじ輸出が本格化し、「輸出貢献企業」に当組合員企業も多数表彰され、外貨獲得の一翼を担うことになった。
その一方、過当競争も顕在化し、木ねじ・小ねじ製品の輸出規制策も浮上してきた。また、この期には企業経営の近代化、生産の合理化が強く求められ、近代化促進法の指定業種(1963年)による体質強化、さらに第 2次近代化促進法による構造改善特定業種(1971年)として「グループ化」が図られた。
しかし、1970年代に入るやドルショック(1971年)・第1次石油ショック(1973年) に相次いで見舞われ、その後の長い変動期を迎えることになっていく。