組合歴史
西部製線鋲螺工業協同組合の歴史 -変動期Ⅰ-
第1次石油ショック後不況(1974年)を転機として・日本経済は知識集約化など産業構造の転換が叫ばれるに至る。さらに第2次石油ショック(1979年)、円高ショック(1985 年)、バブル景気、平成不況とめまぐるしい景気変動に直面した。
こうした中で、ねじ企業経営・組合運営においても、その対応に迫られた。
ねじ製造業全体としては第2次(知識集約型)構改 (1982年2月-88年3月)、第3次(経営戦略型)構改(1990年3月-95年3月)が推進されるとともに・ねじ生産面における機電一体化、省人化、自動化が進行することになった。
この間、当組合の主な事業活動としては、 労務改善事業(1982年-84年)、活路開拓調査指導事業(1984年)、同ビジョン実現化事業(1986年)、同フォロー事業(1987年)、日 本ナット工業組合との共同による事業転換対策事業(1990年-92年)といった国等からの助成を活用しての事業や、工場見学会・講演会・講習会・展示会出品・研修会開催などの企画、及び青年部(水扇会)の発足・育成が図られた。